
このページでは、会社員しながら副業で月収100万円稼げるようになり、ネット起業した裏側をお話します。
まず結論から言います。ビジネスというのは基本的に算数(掛け算)です。
いくらの値段の商品を、何人の方が購入されれば 売り上げはいくらになる。ということを具体的に描くことが出来れば、会社員しながらでも副業で月収100万円を稼ぐことは可能です。
※どういうことか?は、このページを読んで頂ければ分かります。
事実、私は会社員をしていた2003年頃に、副業で月収100万円~200万円を稼げるようになり 2005年に有限会社サマーウインド(現 株式会社サマーウインド)を立ち上げ起業することが出来たからです。
そして、現在まで累計80億円の売上、国内外合計10社同時経営する起業家で事業家でもあります。
こう聞くと「特別な才能を持っているんだよ」と思われるかも知れませんが、私は以下のような凡人です。
- 5流高卒低学歴の元ヤンキー
- いつも上司と喧嘩「お前がヤレ!」とぶち切れ即退職
- 転職8回の末にひきこもる
- 人身事故の影響で強迫性障害になり仕事もできない
- 手取り13万、借金も100万超まで膨らむ
このような状況から、どのようにして会社員をしながら 副業で月収100万円~200万円を稼げるようになり起業したのか? 今まで書籍の中でしか語ってこなかった内容を、公開したいと思います。
※動画では渡部がどのようにして15年(2019年時点)で総計80億円を売り上げたのか?時系列で分かります。
ただし、私が起業をしたのは2005年です。当時と今とでは全く環境が違いますし、今のような恵まれたIT環境ではありませんでした。なので、当時の頃に比べると劇的にITの環境が整っている現在は、いろんな手段を活用できますし、作業ももっと効率的に行うことが出来ます。
とはいえ、当時から現在まで、やっていることは基本的に変わっていません。時流に沿って、ツールや それに合わせたやり方は変えてはいますが根本は変わりません。
なぜならば、
“ビジネスの原理原則” は変わらないからです。
また、読み進めて頂けると
時流の波に乗ることの重要さ
これを感じることはできますし、今から副業・起業を始めるには絶対に「時流の波に乗る」ことは重要です。
逆に言えば、ここを間違えてしまうと高い確率で副業も起業も上手くいかなくなります。
「こんなに作業量をこなしているのに、コツコツ頑張っているのに思うように稼げない」など、多くの人が稼げていないのはこれが出来ていないことも要因の1つです。
そうならないためにも、この記事を読みながら いかにその事が大事なのか?を学んで欲しいと思います。
そして、今はSNSなどをはじめ、様々なITの環境が整い新たな「時流の波」が来ていますので、ぜひとも行動を起こして この波に乗って下さい。
今の波に乗らないと、その後10年以上チャンスが来ません。
会社員をしながら将来 起業できない。という意味ではありませんが、今から始めるのと後から始めるのとでは、後者はより苦労を強いられることになるはずです。
目次
- 1 時流の波に乗ることの重要さ
- 2 めんどくせーからそこでいいよ。もう。
- 3 そう、私は自由を手に入れたかったのです。
- 4 あくせく働いても手取り13万円の給料
- 5 定職につくことができないまま31歳を迎えてしまったのです。
- 6 2003年の秋
- 7 ネットを使ったら稼げるんじゃないか?
- 8 なぜ、ヤフオクだったのか?
- 9 ヤフオクで落札されやすくするノウハウを販売
- 10 情報が売れる
- 11 借金を返済できた
- 12 お客さんに喜ばれて初めてビジネスは成り立つ
- 13 世の中に完璧な商品は無い
- 14 マインドが狂うとこうなる
- 15 ビジネスとはどういうものか?を知る方法
- 16 千里の道も1歩から
- 17 自分がどうなりたいのか?
- 18 有限会社サマーウインドを設立
- 19 自分のホームページをネット上に誕生させたい!
- 20 「情報コンテンツをネットで販売する」というビジネスです。
- 21 年商1000万円を稼ぐ公式
- 22 起業に必要な3つの条件
- 23 3番目の起業家マインドも重要
- 24 起業家マインドを身に付けるには?
- 25 パソコン1台で人生は劇的に変わる
めんどくせーからそこでいいよ。もう。
これは、私が当時通っていた工業高校の就職担当の先生に対して言った言葉です。この言葉がキッカケで、高校卒業後の就職先を決めたのでした。
なにしろ当時、私はヤンキーでした。
当然学才はないので進学なんてさらさら考えておらず、でも、何もしないでぷらぷらしているわけにもいかないから就職するしか「しょうがない」。
そんな考えでしたから、この仕事がしたい、この会社へ行きたいという積極的な気持ちがまったくありませんでした。
だから、こんな自分でも採用してくれるという地元の中小企業に安易な気持ちで入ったのです。
でも本当は、そんな縛られるような「仕事」はしたくなかった…
そう、私は自由を手に入れたかったのです。
何にも縛られず、したいことを、したいときに、したいだけできる自由を。いろんなものに縛られた窮屈な日々は、今までの学生生活だけでもううんざりでした。
その窮屈さに逆らおうとヤンキーになったものの、結局、それで何かが変わるわけではありませんでした。
だから、私はいつの日からか、これまでの束縛から自動的に解放される「卒業後」に自分の理想をかなえようと思うようになっていたのです。
しかし、では自由を手にするには具体的にどうしたらいいのか。それを考えてみると、何の策も見出せないという現実にさらされました。
せいぜい宝くじに当たるとかパチスロで稼ぐとか、そんなことしか頭に浮かびません。
それらは確かにその私の好きなことではあったのですが、当然、収入の面で安定性・確実性に欠けます。
結局、自由になることは当面、かなわぬ夢と思うよりほかありませんでした。
かくして、私はしかたなく入った会社で朝から晩まで、しかも毎日残業してまで好きでもない作業を続け、理不尽な上司、理不尽な得意先に下げたくもない頭を下げ、見せたくもない笑顔を見せ続けることとなってしまいました。
会社という組織で、高校の頃以上にきつく束縛され続けたのです。
あくせく働いても手取り13万円の給料
妻と子供を養っていくには、これだけの給料だけでは何の贅沢もできず、日常生活だけで精一杯です。ちょっと油断しただけで、すぐに赤字になってしまうこともしばしば…。
※最終的には、借金は100万超まで膨らんでいました。
私はそんな状況に耐えかねてしまい、数ヶ月後に会社を辞めてしまいました。
こらえ性がないと言えばそれまでなのですが、理想とあまりにも真逆(まぎゃく)な生活にどうしても納得できなかったことも事実でした。
しかし、納得できないといっても、求める自由を手に入れるための手段を見つけたわけではありません。結局、すぐに働かないと生活が立ち行かなくなるので、ほどなく別の会社に転職するしかありませんでした。

そんなことを、本気で思っていたのです。
当然、その考えは甘すぎたと言わざるを得ません。しょせん、同じ会社組織。縛られるのはどこも同じです。結局、私は次の会社でも長く続きませんでした。
気がつけば、私は履歴書が2枚にわたるほどいろんな会社を渡り歩いてしまっていました。そして、
定職につくことができないまま31歳を迎えてしまったのです。
しかも、その間に結婚もしてしまい、2人の娘の父親となっていました。
これにはさすがに親や親戚も、見るに見かねて私を実家に呼びつけ

と、苦言を吐かざるを得ない始末でした。
しかし、その程度ですぐに心を入れ替えるなら、私はとっくの昔に世間体(せけんてい)のいい社会人になっていたはずです。それができないのは、私がどうしても自由をあきらめ切れないでいるからにほかなりませんでした。

そう思いながら既に12年以上経過。
結婚して子供がいるにもかかわらず、また、高校時代の仲間が係長や課長に出世したり、会社を立ち上げて成功しているにもかかわらず、私はいまだに甲斐性(かいしょう)のないまま、性懲りもなく自由を求めてさまよい続けていたのです…。
2003年の秋
このように、私は理不尽な会社や上司に腹を立て続けつつも、会社から給料をもらって生きていく術しか知らず 転職を8回も繰り返していました。
しかし、2003年の秋に私は、インターネットの存在を知ったのです。
その興味にいてもたってもいられなかった私は、無理にカードローンからお金を引っ張りだして、ネット環境も整え※、貪るようにネットサーフィンを始めます。
すると「あること」に気がつき、その瞬間から興奮が止まりませんでした。
その「あること」というのが、
ネットを使ったら稼げるんじゃないか?

そう思うと、心臓はバクバク高鳴り、マウスをつかむ手の震えが止まりませんでした。
私は山形県の片田舎に生まれ育った人間で、当時も実家暮らし。転々としていた会社も全て地元か隣町にありました。
それまでは起業なんて全く考えたこともなく、仮に考えたとしても「こんな人の少ない場所で出来る起業なんてほとんど無理」と、すぐにあきらめていたはずです。
しかし、インターネットがあれば、そんな片田舎にいる自分でも全国の人たちを相手に取引することができる。こんなチャンスを見つけて興奮しない方がおかしいですよね(笑)。
その興奮が抑えきれず、それからは仕事から帰るとすぐに検索窓に
・稼げる情報
・ネットで稼ぐ方法
といったキーワードを入力し、検索結果に出てきたサイトを片っ端から見ていく毎日。
その中で当時1番に私の目を引いたのが「ヤフオク」です。
なぜ、ヤフオクだったのか?
それは「不用品を売る」ということで、仕入れも元手も必要なかったからです。
そして、試しに自分が持っていた「タカミネ」というメーカーのギターを出品したところ、友達に売ってもせいぜい1000円か、2000円にしかならないようなそのギターが、なんと!
※プロフィール動画では 27000円で売れました。とお伝えしましたが、正しくは2万5000円です。
この時、私の興奮が最高潮に達しました(笑)
経験のある方は分かりますよね?
幸い、私の自宅のガレージには不用品ばかりが山のようにありました。中でも印象的だったのは、普通なら粗大ゴミとして捨てるような「壊れたアンプ」が3000円で落札されたことです(もちろん、「ジャンク品」と書いて出品しました)。
本来なら粗大ゴミに出して処分代を払わないといけないような物が次々と落札され、落札者さんからは「ありがとうございました!」と感謝のメールが届く。
その感謝のメールを見て私は、

と感動しました。
自分からしたら壊れて使えないと思っている物でも、パソコンの向こう側にいる人にとっては欲しい物であり、お金まで払ってくれて、しかも、感謝までしてくれる。
その、お客さんの感謝と感動が今の自分を作っている。と言っても決して言い過ぎではありません。
その感動とともに、気が付けば私は3か月で100万円のお金を手にしていたのです。
その後、さすがに不用品が無くなってきて必要なものまで売り始めたのですが、それも限界を迎えたため(笑)、今度は
ヤフオクで落札されやすくするノウハウを販売
Windowsの「メモ帳」でまとめて、ヤフオクの「情報」カテゴリーに出品しました。
今なら「PDF」などの電子書籍や「 note 」などが一般的ですが、当時はその方法が見つからず「メモ帳」を使うことしか思いつきませんでした。今考えたら「メモ帳」に書いたデータを売るなんて暴挙ですね(汗)。
この「情報」の出品は、当時ぜひやってみたいと思っていたことでした。なぜか?
これは、私自身がヤフオクを始める際に、出品する方法が分からなかったので「ヤフオクで不用品を売って稼ぐ方法」という情報をまさにヤフオクで買っていて、その経験から「ネットではモノだけではなく『 情報 』も売ることができる」ということが分かっていたからです。
情報が売れる
しかも「個人で作った情報」が。
これを知った時の、体の中を電流が走り抜けたかのような衝撃は今でも忘れません。自分が情報を提供してお金を頂く。なんて考えたこともなかったので、まさに青天の霹靂でした。
それまでの「売っている情報」といえば、新聞や雑誌、本であり、どれも1個人が簡単に出せるものではありません。それが、自分で情報を作ってすぐにネット上に出品できて、それを買ってくれる人がいるというふうに変わった。
まさに「時代は変わった」です。
その体験を自分でも早くしてみたくて、せっせとメモ帳に情報をまとめ上げ、心を躍らせながら出品したのを今でもよく覚えています。
すると、私の情報はなんと、毎月100~200万円も売り上げるようになったのです。
しかも、情報ですから
- 仕入れ原価はありません
- 経費と言えば掲載料金程度
銀行通帳にそれまで見たこともないような入金の行列、そして、残高の数字が刻まれるのを見たとき、私は心の中で力強いガッツポーズを何度も決めました(笑)
借金を返済できた
このおかげで、私はそれまで抱えていた借金を返すことができました。
ちなみに、その借金は当時の私の給料があまりにも安すぎて、ただ普通に生活しているだけなのに膨れあがっていった借金です。
それほどの安月給で、会社にこき使われることには以前から嫌気がさしていました。なので、転職を繰り返した際には「やってられるか!辞めてやる!」という辞め方しかできなかった私が、

と穏やかに辞表を提出して最後に勤めた会社を円満退社したのです。
自分のパソコンにインターネットを繋いだ日から、2年後の2005年3月のことでした。
当時、このようにネットで情報コンテンツを販売することは、田舎暮らしでお金も人脈も無かった私のような個人にとっては、これ以上ない優れたビジネスモデルでした。
パソコン一台とネット環境があれば、誰でも会社員をしながら副業として始めることもでき、商品の原価もゼロ。なので、オフラインのビジネスを始める時のような莫大な初期投資は全く不要。
しかも、仮に失敗したとしても損失が極めて少ない。そんな夢のようなビジネスモデルの恩恵に私もあずかったというわけです。
この経験から声を大にして、多くの方に言いたいことは、

しかし、ここであなたに誤解を持って欲しくないことがあります。それは、
お客さんに喜ばれて初めてビジネスは成り立つ
ということです。いくら会社員で副業をしていたとしても、それはビジネスです。パソコンやスマホの向こう側には、あなたと同じ人間がいることを忘れないでください。
さきほど私は、

私は会社員をしながら副業として、情報コンテンツを作って販売していました。
その1つとして、ヤフオクに出品する情報を作っていたのですが、その際、やはり「お客さんに感謝されたい」と思って、私の情報でお客さんが自分自身の目的を果たすことができるように、いろいろ工夫しながら作っていました。
今振り返れば、直接顔が見えないネット上だからこそ、しっかりしたものを提供してお客さんに喜ばれることが大切なのだと、無意識に感じていたのだと思います。
世の中に完璧な商品は無い
と言われるように、どんなに全力で魂を込めて作った商品でも、全てのお客さんに100%の満足を与られないと思います。
しかし、多くのお客さんから感謝され、「次の商品も楽しみにしてます!」というあたたかい返信を頂いたりしたことも事実です。
こうしたことは、「売れれば何だって良い」と思って適当な情報を作っていたら起こりえないはずです。
マインドが狂うとこうなる
今では随分少なくなりましたが、当時は、ネット上で情報コンテンツを販売するビジネスモデルについては、「コピペだけで〇〇万円稼げる」「ノーリスクで稼げる!」など「楽に稼げる」ということばかりが叫ばれて、爆発的に売れてはいました。
実際、私も買ったことがありますし、お客さんも多々買っていたのですが、いざ買ってみたら内容の薄い情報で、お客さんが「騙された!」と感じてしまうケースがかなり多くあったのです。
要するに、自分の利益ばかりを考えてお客さんのことを完全に無視した情報コンテンツ販売が横行したわけです。
しかし、そんな「詐欺まがい」なものを提供して、お金ばかり奪っていてもお客さんからは「あいつ、騙しやがって」と思われるような人が、その後もビジネスを続けていけるでしょうか?
やはり、良い情報を提供してお客さんに「買って良かった」と喜んでもらえなければ、そのビジネスは長く続いていかないと思うのが自然だと思います。
事実、今でも私はヤフオク時代からのお客さんとお付き合いがあります。
なぜそれが分かるのかというと、「ヤフオク時代から渡部さんのファンです」という、非常にありがたいメールを頂くからです。
ですから、会社員しながら副業としてネットビジネスを始めることはオススメなのですが、その際にはまずは
ビジネスとはどういうものか?を知る方法
これは、ネットビジネスだろうとリアルのビジネスだろうと何でも共通です。お客さんのためにならないものを売ると、自分で自分の価値を下げてしまい結局は、自分の首を絞めてしまいます。
その意味で、あなたが会社員をしながら副業などでお金を稼ごうと思われるのであれば、まずは手始めにヤフオクでもメルカリでも良いので、1円でもいいから何かを売ってお客さんに感謝される。という実体験をしてみてはいかがでしょうか?
理屈ではなく「経験」として落とし込むことで、あなたはどんどんお客さんを喜ばせたくなり、そして、お客さんが喜んでくれることで自分も喜べる。
その体験を通して、ビジネスとはどういうものか?というのがつかめてくるはずです。
千里の道も1歩から
と同じく、「10万円、100万円、1000万円、1億稼ぐのもまずは1円から」です。
会社員しながら副業をする、起業をしたい、と思ってもネットですから、ラーメン屋さんを開業するといったような莫大な初期投資をするような必要もありません。また、売れないからといって大きな痛手を被ることもありません。
パソコン1台あればできるので、ぜひ経験してみて下さい。全てはそこから始まると私は思います。
尚、重ね重ねですが、それまでの私にとっては会社や上司という存在が増悪の対象でしかなかった中、唯一、最後に退職した会社の社長には大変お世話になりました。
そう、
会社にも上司にも
感謝できるようになれたのです。
はい。ということで、私が会社員をしながら起業したまでの裏話でした。
結果的には、私の「会社に頼らなくても自力で稼いでいける準備」となりますが、「さあ、準備しよう」と思って始めたことではありませんでした。
- インターネットの可能性に興奮し、その可能性を信じて夢中で突っ走った…
- そして気づいたら起業できるぐらいまで稼げていた…
なので、「準備していた」というよりも「没頭していた」という言葉のほうがシックリきます。
自分がどうなりたいのか?
その気持ちが明確であればあるほど、人はいくらでも変われます。
私の場合は、以下の気持ちを もの凄く強く持っていました。
会社勤めから “永久に” 解放される
絶好のチャンス!
「絶対に稼いでやる!」という野心
この「野心」はあなたが会社員をしながら、いつか起業したい。そう思って「準備(副業など)」を始める時には、ぜひ持って欲しいと思います。
逆に、もし今あなたに「野心」が無いのであれば、ぜひ「野心」を持って下さい。
- 自分がどうなりたいのか?
- どうしたいのか?
それを自問自答して行った時に、見えてくるはずです。
もし見えなければ、まだ真剣に悩み抜いていない証拠。適当な気持ちで始めると、適当な結果しかついてきません。
「やるならとことんやる!」です。
なお、「野心」と聞くと悪い意味で捉える人もいらっしゃいますが、本来は
良い意味の言葉なんです
なので、ぜひ「野心」を持ちましょう!
有限会社サマーウインドを設立
さて、毎月何百万も売り上げたことで税金のことが気になった私は、地元の税理士さんに相談しました。
すると「節税ができるので会社にしたほうがいい」とアドバイスを頂いたので、速攻で「有限会社サマーウインド」を設立。
「サマーウインド」は、カリフォルニアのサーフ・ロック・バンド「ザ・ビーチボーイズ」をイメージしたものです。意味はもちろん「夏の風」ですが、たまに「サマーウインドウ(夏の窓)」と勘違いされます(笑)。
自分が会社を作ることになるとは思ってもみなかったことでしたが、勤めていた頃の会社は最後の一社以外全部嫌いだったのに、自分が作った会社はとても大好きでした(笑)。
その後は、さきほどの「ヤフオクで落札されやすくするノウハウ」のような「情報コンテンツ」をヤフオクではなく「ホームページで売る」ことを覚えたので、さっそくホームページを作り、そして「情報コンテンツをネット上で販売して稼ぐノウハウ」をまさに情報コンテンツとしてまとめて販売しました。
いよいよ本格的なネットビジネスデビューです★
それまで、ホームページはもっぱら「見るもの」でしかありませんでした。
しかし、それを自分で作ることができる。しかも、自分で作ったホームページから商品が売れると知った時は、私はすぐにホームページ作成のために必要なHTMLの知識を覚えはじめ、「ホームページビルダー」というホームページ作成ソフトを使って 夢中になって自前のホームページを作り上げていました。
HTMLはヤフオク出品ページを作る際にも必要だったので、多少の心得はあったつもりでしたが、自前のホームページを作るためにはその10倍ぐらいの知識が必要で、最初のうちはなかなか骨が折れました。
しかし、それでも突き抜けられたのは
自分のホームページをネット上に誕生させたい!
という心からの想いがあったからです。かくして、私史上初、私の運営するホームページがネット上に誕生したのです。
ところが、作ったホームページの存在をどうやって人に知ってもらえば良いのかが分かりませんでした。
当時はSEO(検索結果の上位に表示されるための技術)には詳しくなかったので、たくさんの人に見てもらえる方法が分からなかったのです。
私が思いついたのは、「ヤフオクで落札されやすくするノウハウ」を買っていただいたお客様に、ホームページ開設と新たな情報コンテンツ販売のお知らせメールをすることでした。
現在のヤフオクは、「取引ナビ」という機能を使って お客様とやりとりする形ですから、お客様のメールアドレスを知ることが出来ませんが、当時はメールでのやり取りでしたので必然的にメールアドレスを知ることが出来ていたのです。
ちなみに、現在では「特定電子メール法」というものがあり、ビジネス用のメールを送る際には相手方からそれを受け取っても良い。という承諾(これを「オプトイン」と言います)が必要です。
しかし、当時はまだこの法律が整備されていませんでしたし、なにより既に取引のあるお客さんでしたから、自分が送信するメールは好意的に受け取ってもらえるはずだと思っていました。
メールでは、まずは「お蔭様で独立しました」というご報告と、「独立第一弾の商品を作っています。出来上がったらお知らせします」というご連絡を行いました。その方がお客様の期待感も高まって、ワクワクしてもらえると思ったからです。
いわば、弓矢の矢を極限まで引いておく。といったところでしょう。
そのような事もあって、販売開始直後1週間以内でなんと!300万円以上もの売り上げを上げることが出来たのです。
「独立おめでとうございます!」という返信をたくさん頂いたことも、とても嬉しかったことを今でも鮮明に覚えています。
そして、実はこの時から現在まで、私が行っているビジネスは基本的には全く変わっていません。
それはすなわち
「情報コンテンツをネットで販売する」というビジネスです。
そして、その時その時の「半歩先」の時流を読んで、ライバルに先んじて開発しリリースしてきた。
- 情報コンテンツをネットで販売する
- そのために「集客 → 教育 → 販売」の仕組みを作る
- 時流を読んでライバルに先んじて開発しリリースする
たったそれだけのことを繰り返して、現在まで食べていくことが出来ているのです。本当にそれだけです。
年商1000万円を稼ぐ公式
とはいえ、まだ体験していない方にとっては、はっきり言って信じられない世界だと思います。
そこで、実際に年商1000万円を稼ぐシミュレーションを行ってみたいと思います。
たとえば、渡部が会社員しながら副業で年商1000万円以上を稼いでいた構造としては、以下の通りです。
年商1000万円を稼ぐ公式:渡部の場合
年商1000万円を稼ぐ公式:その他の事例
このように、2万円の商品を200人の方が購入。その後、ご購入下さった200人のお客様に10万円の商品をオファー。60人の方が購入下されば、それだけで年商1000万円を達成できてしまうのです。
ビジネスというのは、基本的に算数です。
いくらの値段の商品を何人の方が購入されれば、売り上げはいくらになる。ということを具体的に描くことが出来れば、後は その方程式に沿って行動していけば年商1000万円は達成できます。
と先人たちが言っているように、本質はシンプルです。
多くの人は、先に「YouTubeで〇〇万円稼ぐ!」とか「SNSで〇〇万円稼ぐ!」というノウハウを学んでしまうから、難しくなるんです。
はい。ということで、ここまでが 渡部が会社員をしながら起業した裏側になります。
起業に必要な3つの条件
ここまでの事をザクっとまとめると、会社員をしながら起業するには
- 「時代の転換期」をフル活用すること
- そして、ネットで販売するモデルを仕組化する
- 達成するには「自分がどうなりたいか?こうしたい!」という気持ちも重要
特に 毎年 年収1000万円~億単位を稼ぐには、仕組化することが非常に重要です。
副業を本業にして起業する人はゴマンといますが、たとえば「情報販売」でドカンッ!と一気に何百、何千万、億単位で売り上げる人は大勢いますが、一発屋で終わる人がほとんどです。
物販やアフィリエイトにしても同じです。
では、一発屋で終わる人と、何年 何十年も安定して稼ぎ続けている人の決定的な違い、それは、
の違いです。その仕組化ができるかどうかで、その後のビジネス、はてはあなたの人生までをも左右する。と言っても過言ではありません。
ので、必ず「仕組化」も勉強しておきましょう。
3番目の起業家マインドも重要
そして、仕組化も重要なのですが、それと同じぐらい重要なのが起業家マインドです。
- 自分がどうなりたいのか?
- どうしたいのか?
自分の意志で行動する事。そして、全ては自己責任と思う心構えです。
日本は島国であり敵に囲まれている状況だったため、一致団結して集団で徒党を組み戦う。生き延びるためにも、そのマインドが必要でした。今も、そのマインドが遺伝子レベルで受け継がれています。
もちろん、それは日本人の強みの1つです。だからこそ、助け合うし 助け合うことで一人では成しえない大きなことも成しえることが出来ます。
しかし、その結果「誰かが何とかしてくれるだろう…」という、受け身体質も生み出しました。
ですが、起業して成功※したいならば(副業で稼ぎ続ける場合も同じ)、自分がこうしたい!という意志と行動が必要です。
何かに依存するのではなく、「自分の力で食っていく」事を決める必要があります。
起業しても続かない人の多くは、「仕組化」「起業家マインド」が出来ていないことも要因の1つです。仮にサラリーマンをしながら副業を続けたとしても、「起業家マインド」は絶対に持っておいて下さい。
なぜなら、国も会社も当てにならない時代だからです。「誰かが何とかしてくれるだろう…」では、結局は自分が苦しむだけになります。
起業家マインドを身に付けるには?
受け身体質を捨てる。つまり、会社への依存心を手放すことです。
将来への不安を抱く根本には、「会社への依存心」があります。会社員なら誰しも会社に雇われて働いているので、依存してしまうのは当然です(フリーランスだとしても、特定の会社からの依頼に頼っている状態も同じ)。
しかし、今の世の中いつリストラされるか、会社が倒産するかなんて分かりません。そのような状況ですから、より一層、将来への不安を抱く要因にもなってきます。
このような不安から逃れるためには、依存心を手放す必要があります。
そこで最も簡単に手放せる方法が、この「自分で稼ぐ」という自立心です。そのためには、「会社に依存しなくても自分の力で稼いでいける」ということを、体験を通して自信をつける必要があります。
私の原点でもある ヤフオクや、メルカリなどのオークションでも良いです。
まずは、1円でも良いので給料以外のお金を稼ぐ経験を積んで行きましょう。たとえ、それが家族や自身の生活を支えるのに足りない額でも、自信につながります。
前述したように、100万円稼ぐにも、まずは1円からです。
ぜひ、「今の勤務先の毎月の給料以外のところから、お金をいただく体験」をまずはしてみて下さい。それが、会社員しながら副業を行う第一歩です。
パソコン1台で人生は劇的に変わる
前述の通り、当時 なけなしのお金で買ったパソコンで人生が大きく変わりました。
起業をした後は、嫌な上司の言うことを聞かなくても良いし、会社の理不尽なルールに縛られる必要もありません。自分でルールを決めて、自分のペースで好きな時に、好きな場所で仕事が出来ます。
それまで会社では全くの使い物にならず 転職を8回も繰り返していた私が、起業してから人生が劇的に変わりました。
そう、起業してから間もなくして、たった1つの情報コンテンツ販売で2億1000万円も売り上げることが出来たのです。はい。100%事実です。
では、どのようにして私がヤフオクで稼いだ後に、たった1つの情報コンテンツ販売で2億1000万円も売り上げることが出来たのか?
以下でその戦略と考え方を公開しています。
経験したことの無い方にとっては到底信じられないことだと思うので、私の言うことは信用しないまま、まずは読み進めてみて下さい。