インターネットビジネスを中心に、
多角経営で年間数億円以上を売り上げる 国内トップクラスのマーケッター

自身のインターネットビジネスの先がけ、Yahoo!オークションでは、片手間の副業でありながら、情報コンテンツ5,000本以上をたった半年で売り切った他、1商材10万円という、当時の市場ではありえない高額のプライスを付けたコンテンツを100本以上販売したことは、もはや伝説となっているほど。

2005年、本格的にネットビジネスに参入(法人化)してからは、たった2日で1,000万円、プレプロモーション販売では、7日で2,000万円を一気に売り切った実績を持つほか、単品商材の売上2億1千万円という金字塔を打ち立て、さらには月額15万円をチャージする独自サービスをメール一本で会員数十名集客、100万円以上の価格をつけたコンテンツを1日で数十本販売するなど、 数々の実績をたたき出している。

また、爆発的に売り上げるマーケティング以外にも、最低でも月数百万円の売り上げを安定してキープする独自ロングテールマーケティングを駆使し、インフォメーションコンテンツランキングでは、リリースするほとんどの商材がランキング1位を獲得。

古くより、ダイレクトレスポンスマーケティングを学び、2007年2月には、数々の上場企業のコンサルタントでもある平秀信先生より、起業家アカデミー授賞式にてネットプレナーとしては希少である「金賞」を受賞したほか、フォレスト出版主催のコピーライティング協会の第0期のメンバーでもある。

また、2007年からは、ネットビジネスと金融商品(FX、日経225、株式)を融合させたビジネスモデルを日本でいち早く構築し、投資情報配信業務から、自動売買ロボット(ソフト)販売、投資情報セミナーなど、金融関連の業務を幅広く手がけ、その分野でも日本でトップクラスの実績を誇る。

他、2011年からは、WordPress作成会社、ソフトウェア作成会社、出版社、スタジオ業務など、立て続けにさまざまな職種を手掛け、さらに、2013年からは、金融商品の未来を見据え、独自の調査網でFintechに目をつけ、米リップルラボ社の代理店となり、自社顧客さまに5億円分ほどのリップルコインを販売、2017年4月には、最高、当時の売価、0.6円から80倍をつけ、お客様の資産倍増激増に貢献。

※5億円を150億円分に増やした(お客様の平均値)男、とも呼ばれている。
※その後、2018年1月には1XRPが400円を達成、実に666倍…。

その後、自身がオーナーとして関わっているFintech案件は複数あり、インターネット創世記から、現在の「インダストリー4.0」の時代を、自身の独特の感性で進行中である。

2019年現在、多角経営で、10社以上を経営するオーナー、起業家、投資家であり、創業15年目(設立12年目)にして、グループ会社での売上は合計80億円を超えている。

ちなみに、社員、役員含めスタッフ総計4名体制なので、1名あたりの売上単価はなんと年間1億円を超える。

また、自身は、早くからグローバルな視点を持ち、2015年には満を持してアジアを中心に海外進出を果たす。

「パソコンとWiFi環境があれば世界中どこにいても同じパフォーマンスでビジネスができる」

ということを自ら実証。現在は海外法人数社も同時に手がけている。


また、これからの時代は、押し付けるのではなく、
役員、社員・スタッフらが、自ら考え行動し、
自分の人生に目標をもって充実した人生を歩んでもらい、
そしてまた、それらの考えを凝縮、実践し、結果、
社の売上が伸び続ける組織にしたい。

と思い、世界的な目標達成ノウハウである
原田メソッドを徹底的に学び、正式な認定パートナーとなる。

原田メソッド認定パートナー

出版した書籍は過去3冊、
うち2冊がAmazon総合ランキング1位を獲得している。

Amazon総合ランキング1位

経営理念は、

「会社も我々もお客様も、全てが儲かる、繁栄するような仕組みを作る」
「会社に頼らず自分の力で食って行く」

インターネットを使って、投資、ネットビジネス問わず、
会社に依存しないで起業、副業をはじめる方を数多く輩出し実績を作り
その成功事例を日本トップクラスのものとしたい。

それにより感謝していただければ会社としての存在意義がある。

コンセプトは 「 ライフスタイル重視 」 躍起になって稼ぐよりも、
たった一度の人生。自分のしたいことや好きなこと、
自由な時間を優先し、普段はのんびりとした生活を送っている。

ネット上では「なべっち」の愛称で多くの人に親しまれている。

 

はい、このプロフだけ見ると「特別な才能を持っているんだろうな」「自分には縁のない世界だな」。

そう思われるのも当然です。なぜなら、私自身もこうなるとは思っていなかったからです。しかし、

私には何のスキルも経験もありませんでした。

多くの人と同じゼロスタートです。

昔から何かビジネスをしていた訳でもありません。いたって普通な家庭に生まれたので、環境に恵まれていた訳でもありません。

学歴なんて全く無くて、ケツから数えた方が早いほど全くというほど勉強しなかったし、ヤンキー時代には人には言えない悪いこともしてきました。中学校の三年間だけで、親は10回以上学校に呼び出されてます(汗)。

本当に、「今日から俺は」のドラマの世界を地で行くような時代を過ごしていました。

そんな落ちこぼれな学生時代だったのを象徴するかのように、工業高校を卒業して就職をしてもいつも上司と喧嘩してばかり。結局 転職8回もしています。

  • 5流高卒低学歴の元ヤンキー
  • いつも上司と喧嘩「お前がヤレ!」とぶち切れ即退職
  • 転職8回の末にひきこもる
  • 人身事故の影響で強迫性障害になり仕事もできない
  • 手取り13万、借金も100万超まで膨らむ

はい。

ですが、このような状況から1台のパソコンに出会って全ての人生が変わったのです。

Yahoo!オークションに出会い、会社員の片手間の副業でありながら、月100~200万円を稼げるようになり2005年、本格的にインターネットビジネスに参入(法人化)。

あまりの薄給で、普通に生活しているだけでも借金がどんどん膨らんでいく状況から起業して、それからは怒涛の勢いで、たった1本の情報コンテンツ販売で2億1000万円以上を売り上げたり、毎月3000万円以上の継続収入が入る仕組みを作るなど、今では年間 数億円を売り上げるまで成長。

更に、国内外合計10社を同時経営するまでになりました。

信じられないと思います。当の本人も信じられなかったのですから。なので、「信じられない」と思って頂いたままブログを読み進めてもらえたら嬉しいです。

このブログでは、弊社の理念でもある

会社に縛られなくてもいい自分
会社に依存しなくても生きていける自分

それを実現するためにも、インターネットビジネスで得た私の経験と知恵を お伝えしていきます。

ご存知の通り

国にも会社にも頼れない時代になりました

  • 終身雇用の崩壊
  • ここ15年で給料の手取りも減り、年金支給額も減額
  • その一方で食料品の駆け込み値上げや消費税の増額

国の借金のしわよせが消費税増税につながり、結局 辛い思いをしているのは国民です。

国の借金1100兆円=1人当たり885万円-財務省

NHK「今日のあさイチ」で 15年間の手取り額の変化が紹介されていたので以下引用。

年収700万円の手取り額が 2002年に587万円 → 2017年に537万円へと年50万円も減少している。

このように、収入は減って行く一方なのに税金による支出は増えている。今後もこの傾向が続く。大手の企業でさえ大多数のリストラを行うのは当たり前の時代になっています。

こんな状況が今後も続くわけなので、将来 年金なんて当てにできないし 会社もどうなるか分かりません。確実に言えることは、会社だけに頼った収入では安心して生きていけないこと。将来どうなるか?不安なまま日々を過ごすことになる。これだけは、間違いなく言えます。

あなたも将来が不安ではないですか?

そこで私がオススメしているのが、インターネットビジネスで副業を始め複数の収入を得る。です。

いつ会社から肩を叩かれても良いように、自分で稼ぐ力を身に付け会社に依存せずに生きて行く。そうなると、将来への不安も無くなるばかりか自分に自信が付くので会社への依存心も無くなります。

経済的にも、精神的にも余裕が持てるので、会社で働くことへの感謝の心も持てるようになり、自分自身のスキルはもちろん、人間としても大きく成長することが出来るのです。

このブログでは、私の経験を交えたネットで稼ぐ方法や、働き方、人生が豊かになるマインドセット、思考法に関する内容を書いています。

  • 5流高卒低学歴の元ヤンキー
  • いつも上司と喧嘩「お前がヤレ!」とぶち切れ即退職
  • 転職8回の末にひきこもる
  • 人身事故の影響で強迫性障害に

こんな人間でも人生を変えることができた。その私の経験などが、きっと あなたのお役に立つと思います。

とはいえ、本当にそんな過去があったのか?

疑ってしまいたくなると思うので、少しばかり私の過去の物語を、今からお話していこうと思います。

私の過去を知れば、こんなダメ人間でもパソコン1台で人生を変えることができるんだな!ということが、疑似体験できるはずです。

転職8回の会社員時代の渡部

渡部
めんどくせーからそこでいいよ、もう

これは、私が当時通っていた工業高校の就職担当の先生に言った言葉です。

工業高校は、卒業後に就職するのがほとんど前提になっています。そのため、地元の各企業から求人が来ていて、就職率は100%でした。と言っても、機械系の会社ばかりで どこも似たり寄ったりだったので、私は本当にどこでもいいと思っていて、先生の言われるままに就職を決めたのです。

年商数億円にたどり着くまでの 私の社会人としての生活は、そうしたところから始まりました。

当時の就職先の会社は、地元としては規模がそこそこ大きい従業員300人くらいのコンデンサーを作る会社です。

仕事は全然おもしろくありませんでした。小学校~高校まで、ハメを外して楽しんできただけに、そのギャップといったらなかったです。世の中に、こんなつまらない世界があったのか。という感じでした。

仕事の内容は「〇〇キーパー」というような名前で、一人で機械を6台くらい受け持って管理するというものでした。

その機械の上から材料を入れれば、あとは機械が勝手に作ってくれるのですが、たまに機械の中で材料が詰まるのでそれを私が取り除くのです。あとは、機械が作ったものをどこかに持っていく。ただそれだけの単純作業。

アホくせえ!!

すぐにそう思いました。

渡部
オレは機械か!?いや、機械のほうがまだ生産性高いんじゃないか。製品を作るのは全部機械だから、じゃあ、オレは機械の奴隷だ

そう思うと情けなくもありました。

それに、作業着もまるで囚人服みたいで、そんなものを着ている自分もカッコ悪いなと。ズボンは短いしダサいしで。しかも、この会社はシフト制で夜勤があったのです。当たり前ですが、人生初めての夜勤です。

夜に母親に弁当を作ってもらい、それを夜中の2時の食事時間に食べるのですが、むなしくて仕方がありませんでした。夜勤なので男しかいないし、深夜と言うこともあってか ほとんど会話もなし。食べると眠くなり、そもそも深夜なので ウトウトして寝てしまう。

それでもしばらくすると、さあ仕事の時間だと言って起こされる。とても人間のする仕事じゃない!とすぐに思いました。

当時、その会社に10年も務める職場の先輩にこう聞きました。

夜勤って慣れるものですか?

すると、意外な言葉が返ってきました。

先輩
アホ! 慣れるか! 人間、夜は寝るもんだ!!

それを聞いてますますこの仕事が嫌になりました。

夜勤が終わりかける朝にゴミ出しのために外へ出るのですが、その時、明けてゆく空を見て、こんな時間にダサい作業着を着て働いている自分がむなしかったことを、今でも鮮明に思い出します。遊んで夜更かしして朝を迎えた学生時代を懐かしく思いました。

なお、その会社は景気は良かったのですが、人手不足からかある時 上司から突然

上司
おい、渡部。明日の夜、出ろ

と言われたのです。

上司と口論。そして1回目の退職。

私は、日ごろの不満に加えて こちらの都合も聞かずに突然「出ろ」と言われたことにカチンときてしまい、気が付けば

渡部
今日いきなり言ってきて明日ってなんだ!

と怒鳴っていました。

それで上司と口論になって、その日で会社を辞めてしまったのです。

もっと事前に言われているのであれば、納得できました。しかし、そんな気遣いすらされなかったことが気に食わなかったのです。しかも、「出ろ」と言われた「明日の夜」は彼女とのデートが入っていたので、余計に腹が立ったのだと思います。こっちにも都合ってものがあるんだよと。

こう聞くと、あなたは

あなた
こういった理不尽なことは社会人なら当たり前だよ。こんなことでいちいち腹を立てて会社を辞めていたら、どの会社でも勤まらないよ。

と思いますよね(笑)ごもっともです。

しかし、それでも私は納得がいかず、人間らしさを売ってまで、明らかに能力のないアホな上司に へーこらするのは、自分のプライドが許さなかったのです。

最初の勤務期間、正味2か月ちょっい。

当時付き合っていた彼女に「会社を辞めた」と報告したら、苦笑いしてました。そりゃそうだ(笑)。

次は、友達の誘いで運送会社へ勤務

私がコンデンサーの工場を辞めたことを知った友達が、

友達
自分が働いている運送会社に来ないか

と誘ってくれたのです。そこは、大手メーカーのジュースを積んで県内の各商店とかに運んでいる会社でした。まだ18歳だった私は、トラックではなく普通車からスタート。

前の工場では会話もなくてつまらない日々でしたが、配達でいろんなところに行けて、しかも配達先のお店の人たちと話せるので、まさに雲泥の差でした。ジュースを積み下ろしする時だけは辛かったですが、それ以外は本当に楽しく働かせてもらいました。仕事も残業がなく、18時には終わるのも良かった点でした。

しかし、その運送会社の規模は大きいこともあってか、なかなか普通車からトラックへのステップアップができませんでした。

トラックに乗れるまでには何年もかかることを聞き、

1年くらいで退職し、別の運送会社に就職。

次に就職した運送会社では、すぐに4tトラックに乗せてくれました。

最初の1~2回は先輩に同行してましたが、それからは、会社から住所が書かれた紙を1枚渡されて「そこへ行ってこい」と言われ、いきなり1人で行かされました。まだ19歳だった自分を、そんな形で長距離運転させるのもすごいな。と思いましたが、私としては望んでたことだったので、とても仕事が楽しかったんです。

とはいえ、寝坊して怒られることもしばしばあったのですが、仕事が楽しかったこともあって「これも社会勉強だ」と思うことができ、

渡部
オレ、仕事しているな!

と「やりがい」「達成感」というものを実感できたのです。

そんな充実した生活を送ることができていた運送会社ですが、この運送会社は1年で辞めてしまいました。

理由は、長距離トラックだったこともあり、親から

事故と隣合わせのような仕事は危険だから辞めた方が良い

と言われたからです。

それまで親に反発しまくっていた私でしたが、さすがに親の言うことを聞くようになったこと。また、当時私が住んでいた地域では「運送屋は20歳まで」という暗黙のフレーズがあったのです。それもあって、じゃあ辞めよう。ということもありました。

なので、また次の就職先を探すハメになりました。

4回目の就職先はクルマの整備

これは、私も車が好きだったこともあって、6年続けることができました。オレってやればできるじゃん!!はい。誰も言ってくれないので、自分で言ってみました(笑)。

以下は、高校時代に乗っていた トヨタのスープラです♪

私は整備士がリーゼントでタバコを吸いながら整備している。ちょっと悪そうなイメージの整備士がかっこいい!と思っていたので、そういった車のメーカーの整備士を選びました。何のコネも使わずに、念願の仕事につけたことで、めちゃくちゃ嬉しかったのです★

最初は下積みが続きましたが、仕事は楽しかったのです。

ただ、平均帰宅時間は夜10時。車検が多い日は夜中の2時3時は当たり前。

一方、朝は8時30分から。仕事場の掃除をして、9時から業務開始。日曜日は休みですが、さすがに疲れてグッタリ。冬場は特に辛い!

経験のある方は分かるかと思いますが、灯油でベアリング(機械の運動の摩擦を軽減する軸受け)を洗うのですが、それで手が荒れるのが悲惨でした。しかも、油が爪の中まで入り込んで、いくら洗っても取れないのです。

その他にも、異臭などいろいろ辛いことが多々ありましたが、それでもクルマが大好きだったので、やる気はあったんです。そう、やる気は…

またまた上司とケンカ

んが、工場長とは何回もケンカしてたんです。「お前、どこいっても上司とケンカしてるな」と突っ込まれそうですが(汗)。

ケンカをしていた理由は、椅子に座ってばかりで当の本人は何もしない。というアホ上司だったから。なので、

上司
これやってくれ

って命令口調で言われると

渡部
今忙しいんだよ。お前ヤレ!

と怒鳴り返してやってたんです。

その他にも、本当にこの上司とはいつもケンカしてました(笑)

ある日、オイル交換をしていたら工場長が

工場長
こっちの仕事を先にしろ

と言ってきました。ですが、そのオイル交換を行っていたお客様には「17時までには車を届ける」という約束をしていました。なので、工場長が「先にやれ!」と言われるがままにやったら、私のお客さんの納車が間に合わず、信頼を失ってしまう。

それで、私は工場長にこう言ったんです。

渡部
見りゃわかるだろう!? こっちは17時までに納車しなきゃいけないんだよ!!

なのに工場長は

工場長
いいからオレの言うことをやれ!

その言葉に私はブチっと切れ、スパナを投げて仕事を放棄

そう、手に持っていたスパナをバーンと床に叩きつけて、そのまま自分のクルマに乗って家に帰ってしまいました。

それでも、クルマが好きだった私は辞めるつもりはありませんでした。

ところが、その会社は整備士でも一定の年数になると、必ず営業職にならなければいけない決まりになっていて、それが嫌なら会社を辞めるしかない。つまり、営業をするか? 会社を辞めるか? その選択を迫られることになったのです。

私はクルマの整備は好きだけど営業は嫌いだったので、辞めるという選択をしました。

「じゃあ、次も整備士の仕事に就いたのか?」と思うかも知れませんが、クルマが好きだった一方で、「こんなひどい環境で死ぬまで仕事をしたくない」という思いもあったので、整備士の仕事はもうやらない。と思ったのです。

5つ目の就職先は、測量事務所

ここは、チームで動くような形だったので、私には全く会いませんでした。私は、個人プレーでないのはどうしても合わない性分なので。おまけに、ヘルメットをしてダサい作業着を着て、というのも最初に入ったコンデンサー会社の時みたいで嫌でした。

そして、ここにもアホ上司がいまして、やっぱり、、その上司とはよくケンカしてたんです。

私は、上の立場の人間には食ってかかる一方、下の立場の人間は守る。というタイプ。

なので、上司が自分より下の立場の人間を怒っていたら、すかさず私は上司に

渡部
おまえ、そんなこと言えるのか?

と言っては上司と揉めてました。

そんな上に立てつくような部下は、上司は当然嫌います。なので、上司は自分が「上」という立場を利用して、私をいじめようとしてきたのです。

しかし、その前に私のほうから

渡部
オレはお前となんかやってられないから、辞めるよ!

と言ってこの会社を辞めました。

こんなアホな上司と一緒に働かなきゃいけないのはバカらしい。と心底思ったので、スパッと辞めたのです。入社してわずか半年です。

3か月間引きこもる

この後、私は3か月くらい仕事をしませんでした。今までは、仕事を辞めても次の月からすぐに新しい仕事に行っていたのですが、この時だけはさすがに、どんな仕事に就こうか?迷ってしまったのです。

そして、迷っているうちに私は、引きこもりになってしまっていたのです。

家族を養わなければならないのに、仕事に就かないまま収入も全くないまま、家でゲームをする情けない毎日。親の収入に頼っては食べさせてもらっている現実に、「なんてオレはダメな人間なんだ」と思いました。

でも、なんとか仕事を探して、

6つ目に就いた就職先は「ガラス屋」

ガラスを切ったり、屋根に上って家の二階のサッシを取り付けたりという仕事でしたが、すぐにこの仕事は合わないなと思いました。

理由は、ここでも仕事の基本が2人か3人が1セットになって働くチームプレーだったからです。そのため、オレはここにいたらダメなんだと思い、1年くらいで辞めてしましました。

父親
お前、いい加減にしろ!

私は親にも、その時 家に来ていた親戚にも言われました

父親
そんなに ころころ仕事を変えるって何なんだ!
親戚
そんなこらえ症のないことで どうするんだ!

私がヤンキーだったころは「若気の至りだから」という感じで、ほとんど何も注意してこなかった親も、この時はさすがに言ってきました。

田舎ということもあって、一度勤めだしたところは辞めないのがえらい、勤続何十年がステータス、みたいな考えが根強くあったのです。不況になった今でさえも、まだそういう考え方は残っているように思います。

だから、

何回も仕事を変えているというのは世間体が良くない

と思ったのでしょうが、私は親や親せきが言う言葉に、全く納得していませんでした。

渡部
たかが転職を繰り返しているだけの話じゃないか。それで何か莫大な借金を抱えたわけでもないし、お金もないわけだから飲みにも行かずパチンコも行かず、いたって真面目にしているじゃないか。それに、世間体を気にするあまり、アホな上司の言うことも我慢して聞いて、会社を辞めずにそれなりに出世してサラリーマンを全うするのがそんなに偉いことなのか? それで、人生楽しいのか?

とも思いました。楽しいわけがありません。

私は常に、「アホな上司に自分の人生を振り回されたくない」という向上心を持って辞めてきたつもりです。

だから、数多い転職も全く恥じてはいませんでした。むしろ、

職種をたくさん経験したヤツの方が強い

とさえ思っていました。

  • 運送会社では道を覚えました。
  • 運転テクニックも覚えました。
  • 整備士の仕事でクルマの整備を覚えたし、部品も覚えました。
  • ガラス屋さんや測量の仕事では建築業も垣間見てきました。

これだけたくさん経験してきたほうが、世の中を生きて行く上では強い。たくさん経験してきたから、何が起きても、どこでもやっていけるという自信を持てるようになったのです。

だから、私には何の負い目もありませんでした。

仮に、今現在の会社が全て潰れたとしても、私は今すぐ何かの仕事に就けると思います。

たとえば整備士だったら資格を持っているので、会社の年齢制限などで引っかかることさえなければ、やれる自信はあります。もちろん、見方を変えれば単に嫌な上司から逃げていただけ。とも言えなくないでしょう。

しかし、

渡部
だからと言って、逃げずにアホな上司に耐えていくことがそんなに素晴らしいのか? それで自分の人生が楽しいのか?

そう考えると、私はどうしても耐える道は選べませんでした。

7つ目の就職「自動車部品のルート営業」

そんな問題があった後、ようやく次の就職先が見つかりました。自動車部品のルート営業です。

整備士の時には営業に回るのが嫌で会社を辞めたと言いましたが、今回は営業と言ってもお得意さんを回るルート営業だったので問題ありませんでした。

お得意さんに顔を出して御用聞きするのですが、部品は整備士の頃に全部覚えていたので楽勝でした。

この会社の人はみんな良い人で、私はここでも6年働き続けることが出来ました。特に、社長にはずいぶんお世話になりました。今でも時々 挨拶に行ったりしているのですが、今の私があるのはこの社長のお蔭です。

実は、ここまでお話していませんでしたが、私は4つ目の会社でクルマ整備の仕事をしていたころに以下の病気にかかってしまったのです。

強迫性障害の病気

強迫性障害(OCD)
つまり、精神障害の病気です。

しかし、なぜ強迫性障害になったのか?そのきっかけは、整備の仕事でクルマを運転していて自転車に乗っていたお婆さんに「コツン」と当ててしまったことです。

それは、休み明けの日のことでした。だるくてやってられないな。と思っていたのが災いしました。

交差点の手前で、私は左右を確認していたのですが、角にあった小さな小屋が死角となっていたのです。それで、横から自転車に乗って出てきたお婆さんに気づくことが出来ませんでした

次の瞬間、自転車のペダルの側面が車のフロントに当たり、お婆さんを倒してしまいました。

私はすぐにお婆さんを病院に連れて行きました。そして、診断が終わってお婆さんと待合室で待っていたら、突然お婆さんが倒れこんでしまったのです。

私は、事故の影響で倒れたんだと思って、気が気ではありませんでした。後になって、お婆さんは

お婆さん
私はもともと自律神経失調症の病気を持ってて、それで倒れたんだから大丈夫だよ。あなたのせいじゃないよ。

と言って下さったのですが、それでも私のショックは消えませんでした。

この事故で違反点数が6点になって即 免停30日

その他の違反もって、あと1点で免許取り消しという状態まで追い詰められてしまったのです。クルマの仕事をしていましたから、免許取り消しになれば、仕事にならなくなってしまいます。

そのため、運転していれば自然とスピードが上がってしまうところを、法定速度を超えないように気を使わなくてはならなくなってしまいました。事故だって起こせません。

また、人身事故を起こしてしまった影響で、私はいつしか人を追い越してバックミラーでその人が見えると、ぶつけてしまったんじゃないか?という気になって、Uターンしてその場に戻って確認するようになってしまいました。

だれも倒れていなくて大丈夫ということが分かって走り出しても、また気になって、もう一度Uターンして戻ってしまいます。

何回戻っても同じなのに、その場を離れればまた気になってしまうのです。

これは強迫性障害の症状の1つで加害恐怖

というのですが、私は気が付いたらそういう状態になってしまっていました。

これでは仕事にならないので、自分で確認したい気持ちを抑えて、親に頼んで見に行ってもらったりもするようになりました。

こんな調子ですから、普通なら30分で済む用事に90分もかかったりしていました。そのたびに、会社には適当な言い訳をしてごまかすしかありませんでした。

そして、

加害恐怖症の症状はさらに進む

手を洗っても、まだバイ菌がついていると思ってもう一回洗わずにはいられない。それを繰り返すので、手がボロボロになってしまいました。

ガスの元栓を閉めてその場を離れても、閉め忘れたんじゃないかと思ってまた戻ってくる。指差し確認して「よし、OK」と声を出しても、それでもまだ確認したくて戻ってくる。そんなことを繰り返しました。火の元確認も同じです。

こんな症状が出ていた上に、あと1点で免許取り消しだから絶対に交通違反ができないというプレッシャーが常にあったので、当時の私の精神状態は尋常ではありませんでした。

整備の仕事をすること自体はなんとか大丈夫だったのですが、気持ちの部分で全く落ち着かずイライラが募っていました。

そんなところに工場長が理不尽なことを言ってきたので、スパナをぶん投げて帰ることにもなったわけです。あの時は、火山が一気に爆発した。という感じでした。

この時ようやく、

さすがに自分でも病気なんじゃないか

と思って病院に行きました。最初は個人のクリニックに行ったのですが、症状を話したら

医者
それは、あなたの気の持ちようなんじゃない?

と言われました。

渡部
アホかこの医者?

と思って、他の病院をあちこち回りますが、なかなか良い先生い巡り合えません。十数件回って、やっと良い心療内科の先生に出会うことが出来ました。

臨床心理技士のカウンセリングを毎週受けた結果、ようやく「強迫性障害(OCD)」という病気だと分かったのです。

先生によると、強迫性障害は育ってきた環境によってなりやすい人と、なりにくい人がいるらしく、私はなりやすい人だったようです。

とても素晴らしい先生だったのですが、だからとしってすぐに強迫性障害の症状が治るわけではなく、

私の日常生活は支障だらけでした

毎日が本当につらくて苦しくて、もう死んだ方が楽だ。とまで思ってしまっていました。

工場長には強迫性障害のことは言いませんでした。あんなアホな上司に弱みを見せるなんてとんでもない!と思ったからです。同様に、ガラス屋さんの上司にも測量事務所のクソ上司にももちろん言いませんでした。

そんなことを言ったら、会社を辞めさせられるから言えない。ということもありましたが。

しかし、結果的に私の最後の就職先となった自動車部品の会社の社長には、自分が強迫性障害であることを初めて打ち明けました。

いい会社だけど、もうあまりにも精神的に苦しかったので、打ち明けて会社を辞めようと思ったのです。

強迫性障害だと言えば、会社も自分を必要としなくなる。

そう思って告白しました。

しかし、社長は以外にもこう言ってくれたのです。

社長
今ウチを辞めたら、おまえ食っていけないだろ? だからまだウチにいろ

それまで私が会社に貢献してきたのを認めてくれて、辞めさせずにいてくれたのです。

そんな頃に、パソコンを買って そして会社の仕事を終えてから

家でヤフオクを始め稼げるようになって独立

なけなしのお金で買ったパソコンでヤフオクを始め、情報コンテンツを販売し月収100万円~200万円稼げるようになったのです。

独立すると社長に言ったとき、社長は

社長
これでもう辞めてもいいな。よし、頑張れ!

と言ってくれました。

先ほどもお話しましたが、この社長には本当に感謝しています。独立できたことをキッカケに、強迫性障害の症状も随分治ってきました。

家で仕事をしている限りは ストレスもほとんどないし、運転する必要もないから良くなっていったのだと思います。病院の先生も

先生
独立したのが良かったんだね

と言ってくれました。とはいえ、

強迫性障害は完治していません。薬は今でも飲んでいます

未だに気になって仕方なくなることはあります。しかし、ひどかった頃と違って3時間もすれば頭から消えていますし、日常生活はもうほとんど問題ありません。

薬は今でも飲んでいます。飲まなくても良いのですが、お守り代わりで飲んでます。

以上、長々と私の転職8回も繰り返した会社員時代のお話をしてきましたが、

こんな経験から言えることが “2つ” あります

1つ目:

気に入らないことを我慢しながらやっていくのも、大人として必要なのかもしれないけれど、自分の人生を切り拓きたいなら、そうじゃない道を選ぶことも必要だよ。ということです。私はこれだけ職を転々としたことを全く恥じていません。むしろ、自分の意志を貫いてきた結果だと誇りに思っているくらいです。

2つ目:

どんなに苦しい立場に置かれても、負けないで頑張っていれば いつか乗り越えられるということ。そして、乗り越えられることができた時、精神的にたくましくなって、さらに上のステージにいけるということです。

強迫性障害を克服するまでの期間は、

私の精神力を本当に強くしてくれました。

「あと一点で免許取り消し」というプレッシャーがきっかけで「強迫性障害」になってしまいましたが、その苦しみを抱えながらも私は、なんとか仕事をこなしてきました。

だから、私は人並み以上に精神力が強い。という自負があります。

その精神力があったから、今のステージまで来ることができたと言っても良いでしょう。

インターネットビジネスを始めてから今までの間には、いろいろ逆境も経験しましたし、結果を出し過ぎて誹謗中傷の書き込みにも遭遇しましたが、強迫性障害に苦しみながら仕事を続けていたあの頃に比べれば、何のことはありませんでした。

あなたも今、何かに押しつぶされそうになることがあるかも知れません。

しかし、ぜひ負けないで乗り越えて欲しいと思います。そうすれば、精神的にも強くなって、絶対に上のステージに行けます。

強迫性障害を乗り越えた私が保証します。

そしてぜひ、会社に頼らず自分の力で食って行くスキルを身に付け、共々人生を謳歌しましょう!!

いかがでしたでしょうか?

いかに私が凡人か、がお分かり頂けたかと思います。

そして、

  • 会社に頼らず自分の力で食って行く
  • 会社に依存しなくても生きていける自分

なぜこのような理念を掲げているのか? がよくお分かり頂けたかと思います。

私は、これまで数多くの方にインターネットビジネスを教えてきましたが、必ずと言ってよいほど

読者
渡部さんは頭が良いんですね。渡部さんだから稼げるんですよ。

と言われることもありました。ですが、そんな事は決してないという事は ここまで読まれてお分かり頂けたかと思います。

私はもともと文章が得意だったわけではないし、会社員時代に営業経験を積んでいたワケでもありません。パソコンだって、ひきこもっていた時に初めて買って触り始めたぐらいです。それぐらい無いない尽くし。

本当に凡人の中の凡人を地でいってました。

  • 5流高卒低学歴の元ヤンキー
  • いつも上司と喧嘩「お前がヤレ!」とぶち切れ即退職
  • 転職8回の末にひきこもる
  • 人身事故の影響で強迫性障害になり仕事もできない
  • 手取り13万、借金も100万超まで膨らむ

ですが、そんな人間でも変れるんです。

会社に縛られることなく、嫌な上司に媚びへつらうこともなく、パソコン1台でいくらでも人生は変わることができる。人生がどんどん面白くなっていく。ということを、改めてあなたに伝えたいと思い書きました。

私の使命と役割

インターネットビジネスは、正しいやり方を学び実践してけば行くほど、お金も時間も手に入ります。

そして、それで得たお金でまた自己投資をして更に成長し、自分はもちろん家族も、仲間の人生も豊かになっていく。会社から理不尽な扱いを受けている方や、将来の不安を抱えながら生きている方が人生を変える。

20歳の大学生


・2か月目から自動収益で5万円
・3か月目からは12万円
・4か月目は21万円~
と徐々に収入も増えていっています。

62歳の建築会社経営者


ブログで情報コンテンツを販売して
月60万円 何もしなくても売り上げが上がる
仕組みを作ることが出来ています。

上記のような素晴らしい仲間をサポートし、仲間と共に成長・進化しながら 社会全体を良い方向に好転させて行くことが「私の役割であり使命」だと考えています。

  • 会社に縛られなくてもいい自分
  • 会社に依存しなくても生きていける自分

を目指してぜひ、一緒に日々前進していきましょう!

追伸

むちゃくちゃ恥ずかしいですが、以下では 私の過去をより深く掘り下げて公開しています。

つまり、私の原点(ルーツ)を知ることが出来ます。

ぜひ読みながら、自分の場合はどうだったかな?と思い出しながら、あなた自身の原点も発見してみて下さい。自分発見、面白いですよ♪

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これからビジネスで大きな売上をあげて行きたいならば、「〇〇といえばこの人」と言った「ニッチなパイオニアのポジション」を確立することが必要不可欠です。

なぜならば、ネットで似たような商品や情報がありふれている今の時代、商品の特徴や差別化だけでは売るのが難しくなっているからです。つまり、「何を買うか」よりも「誰から買うか」が重要視されるのです。

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